利根川の東遷について
昨日の投稿で利根川の東遷について少し触れました。
気になって調べてみました。
参考サイト→江戸幕府による利根川東遷
引用します。
1590年、北条氏に代わるこの地の新たな支配者として徳川家康が入国します。
関東平野は、徳川幕府によってがらりと姿を変えることになります。
家康は江戸城に赴任するとすぐに譜代大名に関東要所に封地を与え、新田開発を競わせます。そして、この手のつけようのない原野を任されたのは一水系を統括しえた関東郡代・伊那忠次でした。以来、伊奈家一族の技術は「関東流(伊那流とも)」として約200年にわたり、関東平野の治水や新田開発に携わることになります。
家康が最初に行なったのは利根川を東へ流す(東遷)ことでした。当時の江戸は、利根川・荒川・綾瀬川・入間川など主要河川がすべて隅田川に流入し、江戸は治水上、非常に不安な状態にありました。
1593年、伊那忠次は利根川の本流であった会の川を締め切るという大工事からはじめました。利根川東遷は、だいたい以下のような順序で行なわれました(下図参照)。1. 利根川は分流の浅間川へと流して渡良瀬川と合流させ、さらに権現堂川を通して太日川へとつなぎました(締め切られた旧流路は古利根川として後の葛西用水となります)。
2. 伊那氏3代目忠治は1621年、不安であった浅間川の流路を廃止し、新川を開削して太日川へとつなぎます。
3. 1635年には、太日川の東に江戸川を開削して利根川とつなぎます。
4.そして、1654年、4代目忠克は赤堀川を開削し、利根川の水を初めて銚子方面に流すことに成功しました。
さらに、3代目忠治は荒川の付け替えも行なっています。
治水することにより、田畑を広げ、災害を減らし領地の安定を図る。
今で言うと、経済を発展させ、災害によって起こる被害から国民の生活基盤を守るということでしょうか。
立派過ぎます。
自身の領地を盤石にするため、江戸に入ってすぐ大工事の命令をする、行動力の高さに感服です。
徳川家康がどのように江戸を変えていったのか、興味が出てきました。








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