野村監督、一体いつ読書をしているのでしょう。
野村監督の本を偶然我が家の暴れん坊が本棚から落してくれたお陰で久しぶりに読ませて頂きました。
野球を深く理解するために膨大な数の本を読み、有名無名を問わず多くの人の話を聞いてきたと著作に書いてありました。それはもう、多方面からいろいろな角度で思考を掘り下げています。知識をひけらかすのではなく、思考を深めるための補助として言葉を引用しています。
咀嚼して血となり肉となっている、その言葉に勇気づけられ私も学びたいと思ったのです。
どのようにして数多くの本を糧にしてきたのか書いてあったのが忘れてしまいました。
ひとまず自伝的な本を読んでみようかと思い近いうちに本棚を探してみたいと思います。平日は暴れん坊が暴れるため迂闊に探索作業ができないのです。
偶然に手にした野村監督のの本でよく使われているのが中国古典ですね。
例えば、代表的な人物、本は→孔子「論語」有名なのは
「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従って矩をこえず」
後は老子、荘子、孟子、荀子、墨子、韓非子、孫子、呉子などでしょうか。
いつ読む時間があるのか、まったくわかりません。
私は過去に見栄を張って、何度か論語に挑戦したことがありますが目的が知識をひけらかすような目的なので、言葉が意味する思い等を微塵も考えていませんでした。
当然、血となり、肉となるわけもなく、さもしっかり読んだんです!と言いたいだけで本棚に置いてあるようです。
野村監督のように適切なタイミングで思考の補助として先哲の言葉を使うことなど全くできませんでした。
改めて監督の本を読んでみると、目的意識を持って本を選び、気になるところはすぐメモしているようです。
スタートから違います。
まず目的意識、そして気になるところをメモ。
私は読んで、目で追って知った気になっていただけです。
監督は意識的に読み、気になるところをすぐメモしていて、常に吸収しようとする姿勢があります。
偉大なプロ選手は読書の姿勢からして、プロです。
今はこれしかわからないだけで、もっと違いはありますね。
いずれ、また監督の深さに打ちのめされることでしょうね。
血となり、肉となる言葉を探し、書き留め、考え、覚える。
そして選手に伝え、また学ぶ。
監督の姿勢、意識が選手を変え、チームを変え、結果につながるのでしょうね。
歴史の荒波でもまれ、多くの人に勇気と知恵を与え続けている古典にまた挑戦しなさいと言われた気持ちです。
まずは論語をはじめとする、野村監督の進めていた中国古典を一つ一つ、目的意識を持ち、傍らには紙とペンを持ち始めたいと思います。
台風、気をつけましょうね!
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